10月7日以降にドイツで考えたこと①
昨年の10月7日を境にドイツでは何かが変わってしまった。
この半年あまりの間にドイツで見聞きし感じたことを、この国に30年暮らしてきた一人の外国人市民として書き留めておきたいと思った。

4月25日のベルリン・フンボルト大学本校舎前。建物の上にはウクライナ国旗が翻っている
2023年10月7日、ガザ地区を実効支配しているイスラム組織ハマスがイスラエルを攻撃し、これに対してイスラエル側が報復として軍事攻撃を開始したとき、ドイツ連邦政府はイスラエル支持を打ち出した。
ショルツ首相は「イスラエルの安全を守ることはドイツの国是(Staatsräson)だ」と強調。
その後、あらゆるイスラエル批判を「反ユダヤ主義」として封じる空気がドイツ中に広がった。
イスラエル問題に関してはこの国に言論の自由はないと感じる場面にたびたび出くわした。
過去と向き合い、ナチズムへの反省の上に成り立ってきた国、戦争の過ちを繰り返さないためにEU統合の道を牽引してきた国、そして過去を克服してイスラエルとの友好関係を築いてきた国…それが戦後ドイツの姿だったはず。
しかし昨年10月から私たちが見てきたドイツの姿は「イスラエル国家の存在を支えるためなら、イスラエルがどんな暴虐をはたらいてもそれを真っ向からは否定せず、片棒を担ぎ続けている国」のように見えた。
それは対等な友人関係ではなく、弱みを握られていて相手の間違いを指摘できない不均衡な人間関係のようだ。
4月25日の午後、私はベルリン中心部にあるフンボルト大学の本校舎建物に立ち寄った。
目抜き通り、ウンター・デン・リンデンに立つ同大学は、ブランデンブルク門を挟んで東側に位置する。つまりこの大学は40年間、旧東ドイツ時代を経験している。
中央ホールを入ると正面には今も、カール・マルクスの「フォイエルバッハ・テーゼ」として知られる格言「哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきただけだが、大切なのはそれを変えることである」が刻まれている。

ベルリン・フンボルト大学の中央ホールに記されているカール・マルクスの格言
4月後半、米国各地の大学では学生たちがイスラエルのガザ攻撃に反対してキャンプを張り緊張感が高まっていた。フンボルト大学本校舎前でもこの1週間後、パレスチナ支援の学生デモが起こるのだが、私が訪れた時は同校舎前にはプラカード一つ貼られておらず、学生の姿もまばらだった。そして中央ホールではおりしも、「ギリシャにおけるユダヤ人の強制移送」展が開催されていた。

大学中央ホールで開催されていた「ギリシャにおけるユダヤ人の強制移送」展
こんな空気の中で「ガザで起こっていることについてどう思いますか?」と話しかけるのには勇気がいった。
ようやく話しかけた学生はカナダからの留学生だった。
「ドイツ人学生とそういう話をすることはない。そこまで話せるほど彼らと深く知り合えていないから」と言葉を選ぶように英語で答えてくれた。
イスラエルの話題になると、私の周りのドイツ人の友人たちはみんなどことなく気まずそうな顔になり歯切れが悪い。
「ネタニヤフのやり方は許せない、しかしハマスはテロリストじゃないか」
ある友人はそう言った。
フンボルト大学の建物の向かいには、かつてナチスが焚書を行なったベーベル広場がある。
ここでは1933年5月10日、「非ドイツ的」とされた書物2万冊が燃やされた。
今では、広場の下に埋め込まれた空間に、空っぽの本棚が見える空間が作られており、焚書という恥ずべき歴史を記憶するモニュメントになっている。

ベーベル広場からフンボルト大学を望む

焚書の記憶を留めるプレート。この場所で知の虐殺が行われた。
このようにベルリンの中心部および市内には、あちこちにナチ時代の悪しき歴史の記憶を留める警告碑や慰霊碑がある。
改めてこの場所に立って過去を突きつけられると、イスラエルに対して自由に意見を言うことをためらう気持ちが起こるのを感じた。
一つの国が過去の過ちを記憶し、それと向き合うことはとても重要だ。戦後そのために尽力してきたドイツという国を、自分の国日本の姿勢と比べても私は尊敬していた。
しかしそれがどのように機能しているのかの検証も、時代ごとに行われる必要があるのだと感じた。
もしこれらのものがドイツ人に、単に後ろめたさや罪悪感を植え付けるだけで終わっているのならば、私たちはそこから先に進むことができない。
今年は第二次大戦終結から79年。ドイツ人にとっての戦争の記憶や、過去のできごとに対する当事者意識はどんどん薄れていっている。

ベルリンの住宅地でよく見かける「つまづきの石」。かつてこの場所に住み、ナチスによって連れ去られたユダヤ人の名前が刻まれている
「正直もう、うんざりなんだよね」
繰り返しナチスの過去を突きつけられることに対して、そんな言葉を若い世代の何人かのドイツ人の口から聞いたことがある。
20代の大学生ユリアは、中学高校の歴史の授業の大半の時間がナチ時代の学習に割かれていることに不満を唱えていた。
「ハリウッド映画の悪役がドイツ人なのって、あと100年くらいしないと変わらないのかな」と30代のヤンは言った。
30代のミリアムは高校の旅行で初めて英国に滞在したとき、「夜に地元のパブに出かけても、決してドイツ語で話さないように。イギリス人の中にはドイツ語を聞くと反感を持つ人たちがいます」と教師に言われた時の衝撃が忘れられない。
彼らは決して極右主義的な思想の持ち主でも反ユダヤ主義者でもない。ナチスの犯罪の重大さを否定しているわけでもないと思う。
敬虔なクリスチャンの家庭出身のミリアムは、「ユダヤ教はキリスト教の源流」というリスペクトを持って育ったと語る。彼女は祖父母が10代の時に戦争を経験している世代だが、ミリアム本人のナチスの犯罪に対しての当事者意識は希薄だ。
戦後ドイツのナチズムへの反省。それは決して建前だけのものではなかったはず。しかし美しい建前の一方には、あまり大きな声では語られない「本音」があるのも事実だ。
ドイツ現代史・ホロコースト研究者の武井彩佳氏は著書『歴史修正主義』(中公新書、2021年刊)の中で「(戦後)ドイツはナチズムを克服し、民主主義国家として生まれ変わったという建前の下、国際社会への復帰が試みられる。外に向けた顔と国民の実態にはギャップがあった」と指摘している。
近現代ドイツのユダヤ人研究者である長田浩彰氏は5月1日付の朝日新聞のインタビューの中で
「ナチスの過去から逃れたい」「常に責められる状況を脱したい」という保守派の願望がドイツ社会の中でたびたび顔を出し、「それでも、『反ナチ』の合意自体は守られてきた」と解説する。
「揺り戻しが起きては、世論が否定する。そんな流れの中で、『反ナチ』は次第に社会全体に根付いたのです。この社会的合意の『深化』が、現代では(ドイツからの)イスラエル批判を鈍らせる形で現れているのかもしれません」
「過去と向き合う」とはどういうことなのか。
次回は、そんなことを私に改めて考えさせてくれた、2つの取材経験について書きたいと思う。
(文中引用したコメントの、発言者を名前だけで表記したものは全て仮名です)
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