コロナ禍の日本入国記【帰国準備編】

2022年3月19日、1年3カ月ぶりにドイツから日本に帰国しました。

コロナ禍をめぐる状況は刻々と変化しており、情報もその都度確認する必要がありますが、今回このタイミングでドイツから日本に帰国する場合にどのような帰国手続きおよび心得が必要だったのかを、忘備録として書いておきたいと思います。

なお、これは日本国籍者である私の個人的な記録であることをお断りしておきます。
見市 知 2022.04.04
誰でも
ドイツ鉄道のフランクフルト空港駅。同駅構内のテストセンターで「日本政府指定」のPCR検査を受けました

ドイツ鉄道のフランクフルト空港駅。同駅構内のテストセンターで「日本政府指定」のPCR検査を受けました

入国規則が変遷した1年間

私にとってはコロナ禍が始まってから2度目の帰国でした。

前回は2020年~2021年にかけての年末年始。ちょうどワクチンが普及する前の時期でしたが、当時日本入国の際に定められていた規則としては、到着後に日本の空港で抗原検査を受けること、帰国直後は公共交通機関が使えないこと、自宅などで一定期間待機を求められることくらいでした。

その後コロナが流行している指定国からの入国者には、日本へのフライト前にPCR検査を受けることや、日本入国後に検疫所宿泊施設(主にホテル)で待機期間を過ごすこと、自宅待機の際の居場所確認などが義務づけられました。2021年12月からはオミクロン株の流行を受けて水際対策がさらに厳格化され、「令和の鎖国」などとも呼ばれ問題になりました。

(追記:2022年4月4日

外国籍者に関してはコロナ感染が本格的に拡大して以来、①日本人および永住者の配偶者や子ども、 ②在留資格所持者、③人道上配慮すべき事情がある人、などに限って日本入国を認められていた。

つまり、②の在留資格所持者の配偶者や、婚姻関係にないパートナーの場合はこれに該当しない。

12月以降の制限措置では、①の日本人の外国籍配偶者の場合でも長期の在留資格認定証明書を得ていなければ入国できなくなった。入国できたケースは「特段の事情がある」と認められた場合だった

これが一転、2022年3月以降には大幅緩和され、日本入国のハードルがぐっと下がったタイミングで、私は幸いにも帰国することができました。

3月2日の公式発表で、3月3日以降ドイツからの帰国者・入国者には検疫所宿泊施設での待機がなくなり、ワクチン3回接種済みで指定の陰性証明があれば、公共交通機関を使って自宅に帰ることができ、自宅での待機期間も免除ということになりました。

厚労省指定フォーマットとは何か?

というわけで今回、日本帰国に際して必要とされた書類は以下の通りです。

①PCR検査の陰性証明(日本の厚労省指定フォーマット)

②ワクチン接種済み証明(英語表記があり、氏名と生年月日が確認できるもの)

②のワクチン接種済み証明は、ドイツでのワクチン証明書がすでに英語併記で、必要事項が記入されていたので問題はありませんでした。

問題は①の方で、この「日本の厚労省指定フォーマット」というのがなかなかの曲者で、初期の頃はかなり混乱を招いたようです。PCR検査の検査方法として当初は、鼻の奥まで綿棒を突っ込んで検体を取る「鼻咽頭ぬぐい液(Nasopharyngeal Swab)」を核酸増幅検査したものと指定されていました。その後、唾液、鼻咽頭ぬぐい液と咽頭ぬぐい液の混合、鼻腔ぬぐい液も可能になりましたが、ドイツで一般的な喉で検査した喉咽頭ぬぐい液は不可。検査証明にも検査方法が明記されていないとダメなんだそうです。

(追記:4月5日

現時点で日本入国の際に認められている検体について、元の文に誤りがあり訂正しました。詳細は、厚労省ホームページ【検査証明書の提出について】を参照ください。)

今ではこの「日本独自ルール」がある程度周知となり、このため検査施設によっては「日本用証明書発行費用(Testzertifikat für Japan)」を追加して対応しているところもあります。

在ドイツ日本大使館では、この日本ルールに対応してくれる検査施設の一覧をHPで紹介してくれていますが、居住地によってはこれらの検査機関が近くにない場合もあります。

私は、総領事館も存在する大都市ミュンヘンに比較的近い場所に住んでいるのですが、まさかのこの問題にぶつかりました。

国内複数の都市や空港にテストセンターのあるMediCareのミュンヘン市内での検査を、3月に入ってから申し込んだのですが、なんと申し込み直後にキャンセルメールが。

「当テストセンターは閉鎖になりますので、予約はキャンセルになります」

ええーーー!よりによってこのタイミングで!?

おりしもこの時、ドイツの感染予防法で定められたコロナ対策が3月18日で終了し、さまざまな社会生活制限が解除になるとされていた直前でした。

街中の薬局などでできる無料のクイックテスト(抗原検査)も3月いっぱいで廃止になると言われていたのですが、その後また新規感染者数が急増したことで、これらの予定も大幅変更になり、クイックテストは5月いっぱい継続されることになりました。

ビビりの私(A型、うお座)は、テストセンターが閉鎖になるとしたら一番最後であろうと思われ、なおかつ確実に日本政府指定フォーマットで検査証明を出してくれる、フランクフルト空港のMediCareでのPCR検査を申し込むことにしました。

テスト当日、天候不順も鉄道職員のストライキもなく、私は無事に時間どおりフランクフルト空港駅にたどり着き、駅建物内のMediCareでPCR検査を受けることができました。

待たされることもなく、鼻に綿棒を突っ込まれて一瞬で終わりました。

そして約24時間後にメールでお知らせが入り、陰性証明をデータの形で無事ゲットすることができました。

MediCareではPCR検査を受けると、この3枚の書類をデータで発行してくれます。左から、ドイツ語/英語併記の検査証明、香港入国に必要と思われる書類、日本の厚労省が指定しているフォーマットでの検査証明

MediCareではPCR検査を受けると、この3枚の書類をデータで発行してくれます。左から、ドイツ語/英語併記の検査証明、香港入国に必要と思われる書類、日本の厚労省が指定しているフォーマットでの検査証明

このように、ドイツ式のフォーマットと日本政府指定のフォーマットと2種類の証明書を発行してくれるのですが、なるほど確かに、ドイツ式の方には検査方法が明記されていませんでした。

PCR検査を訪ねて350km

私の住んでいる町からフランクフルト空港までの移動距離は350km。特急列車の直行便で3時間かかり、東京ー名古屋間の移動距離に匹敵します。

PCR検査は飛行機に乗る前の72時間以内に受けなければならず、検査後に結果が出るまで24-48時間かかります。このため、フライトの2日前に検査を受けることが推奨されていました。フランクフルト空港のMediCareでの検査費用は検査証明発行も込みで75ユーロ。

一方で、空港でやってくれて5時間で結果の出るPCR検査もあり、フライト当日にこのテストを受けることも考えたのですが、こちらのお値段は私にとって1回分のフランクフルト往復交通費を加えた値段よりも高かったため、通常のPCRテストを受けることにしました。

ミュンヘン空港にもMediCareのテストセンターがありますが、こちらはPCR検査だけで184,44ユーロ、日本向けの検査費用がプラス25ユーロでした。

大使館指定の機関以外でも、日本入国の際に認められる検査証明を獲得することは可能なはずなのですが、私の場合はこのことにこれ以上時間と手間とストレスをかけたくないという思いが優先しました。

フランクフルト空港駅までの往復のICE内ではWiFiも使えたのでMacを持参して仕事をし、この移動時間を自分なりに有効利用しました。

そして今回の帰国前には、コロナ以外のもう一つの非常事態が発生していました。

外国から日本への入国規制が大幅緩和になるとの日本政府発表があったのは2月17日。その直後の2月24日にロシア軍がウクライナに軍事侵攻し戦争が始まってしまいました。一連の出来事は欧州の航空事情にも直接影響し、ロシア上空を飛行していた日本行きの航路およびフライトスケジュールにも大きく変更が生じました。

長距離フライトという苦行

長距離を移動する飛行機の旅というのは、私にとってそれ自体がなかなかのストレス要因です。

ドイツから日本に一時帰国する場合、まとまった期間を日本で過ごすために、場合によっては1年前からさまざまな調整をして日程を決める必要があります。

その他、荷づくり、留守中のさまざまな手配、おみやげ購入、長時間フライト、大量の荷物を持っての長時間移動…私にとっては1年で最も筋肉とメンタルが鍛えられる非日常イベントです。

というわけで、コロナ禍の水際対策が強化されて以来、日本帰国をずっとためらっていたのは、ただでさえストレスフルなこのイベントに、フライトスケジュールの突発的な変更、PCR検査の陰性証明、厳しい入国審査、帰国後のホテル待機、隔離メシ…といった新たなストレス要因が加わったことがありました。

2021年5月に、米国の大学で学んでいた日本国籍者の19歳の男性が、PCR検査証明の記入に不備があったのを理由に入国拒否され、強制退去処分になるという衝撃的な事件もありました。

書類の一箇所の不備が原因で、それを補うチャンスも与えられず(彼の場合は与えられた代替条件が不当に高額だった)、自分の母国から入国を拒まれる...この出来事は、私だけでなく多くの在外邦人を震撼させたと思います。

水際対策が厳格化された2021年末、私は予定していた帰国を見送りました。

コロナ禍によって何が大きく変わったかというと、自分の一挙手一投足に、「これは不要不急のものなのか?」という問いかけを求められるようになったことではないかと思います。

コロナ禍による社会生活制限、旅行の自由の制限、それが時にじわじわと私権制限にも及んでいくのを実感しました。

次回は、ドイツを出発して日本へ到着するまでの顛末をお届けします。(続編の「コロナ禍の日本入国記【空港〜帰宅編】」はこちら

【参考記事】

「隔離メシ」で考えた、ごはんに文句を言う権利(見市 知, Tomos Journal, 2021年3月26日)

ドイツから日本へ:コロナ禍一時帰国レポート(ドイツニュースダイジェスト編集部, 2021年12月21日)

令和の鎖国(毎日新聞)

(声)19歳息子、3時間で米国に「送還」(朝日新聞, 2021年6月11日)


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