カフェに行かなくなった

コロナ禍が欧州にも本格的に到来してから3年目。
以前の日常生活に近い状態がかなり戻ってきたとはいえ、以前と同じ世界では生きていない自分を感じます。
大きなものを失った人もたくさんいる一方で、だれもが以前の生活とは異なる小さな「喪失」を経験しているような気がします。
見市 知 2023.01.23
誰でも
コロナ禍以降の個人的な変化は、気軽にカフェに立ち寄る機会が減ったことです

コロナ禍以降の個人的な変化は、気軽にカフェに立ち寄る機会が減ったことです

「旧市街のあのカフェ、コロナ禍を生き延びられなかったみたいだよ」

数カ月前に久しぶりにあった友人が、そんな街情報を教えてくれました。

ランチのビュッフェメニューが豊富で、コロナ前は時々通っていた小さなヴィーガンカフェ。オーガニック素材を使ったメニューは若干割高で、こだわりが随所に見られる小さなお店でした。

残念だなと思う一方で、そのお店の存在を長らく忘れていた自分に気づきました。

というかコロナ以降、自分がほとんどカフェやレストランに行かなくなってしまったことにも。

私は主に在宅で仕事をしていて、たまに取材などのために家を出て小旅行をする仕事パターンなのですが、これがコロナ前は在宅8:外出2くらいの割合でした。今では限りなく10:0に近くなって久しいです。

仕事の打ち合わせもインタビューもオンラインになり、仕事以外でも友人と外で待ち合わせてお茶を飲むよりはどちらかの家に出向くことが増え、外食するとしてもテイクアウトにすることが多くなり、カフェやレストランなどの飲食店に長居する機会が本当に減りました。

そうなのです、まったく外食しなくなった訳ではないけれど、外に長居しなくなったという表現が正しいかもしれません。

以前は、在宅仕事の気分転換に外に出て1時間くらいカフェで過ごしたり、お昼を外で食べるという習慣が私のルーティーンの中にはあったのに。

もう一つ、私が立ち寄らなくなった場所がスポーツジムです。

コロナ禍が始まった頃に閉鎖していた時期があり、それをきっかけに解約してしまったのですが、再開されてからも室内で不特定多数の人が汗をかいている空間に立ち入るよりは、屋外でウォーキングする方を選びました。

ジムに通っている友人が年末にお友だちサービスクーポン券をくれたのですが、行く気がまったく起こらないままです。

つまり、私にとって家庭と仕事場(私の場合は両方が同じ場所にあるわけですが)以外の第3の場所(サード・プレイス)が消滅しつつあるわけです。

これは由々しき事態...

コロナ禍でよく使われるようになった日本語に「不要不急」というのがありますが、必然性のないものが自分の中で排除されているという現象なのかもしれません。

あれほどカフェ好きだった私がカフェに行かなくなったのには、ざっくりまとめて以下のような3つの理由があると思われます。

①コロナ禍でのさまざまな制限から、カフェが以前のように気軽に長居できる場所ではなくなった経験が尾を引いていること、②ロックダウンなどで打撃を受けた飲食・ホテル業界でサービスの質が低下したこと、③ウクライナ紛争の影響で物価が高騰し、カフェでの飲食代にも大きく反映されていること。

そんなことをつらつら考えていたら、ベルリンで100年以上続く老舗菓子店で聞いた話を思い出しました。

そのお店では第2次世界大戦が終わって焼け野原になったベルリンで、物資不足の中でやりくりしていち早くバウムクーヘンを焼き始めたそうです。

それが多くの市民に希望を与え、米国やカナダに亡命したユダヤ人の古い顧客からも、海を越えて注文が来るようになったという話でした。

人が生きていくためにはパン(=最低限必要な糧)だけでなくバラ(=豊かに生きるための尊厳)が必要...そのことを思い出させてくれるエピソードです。

私にとってカフェで過ごす時間は人生の「バラ」の部分だったはずなのに、コロナと戦争によって、いったい何が失われてしまったのか? または私たちが「豊かさ」だと思っていたものは何だったのか? そんなことをもしかしたら今一度、見直す時期に来ているのかもしれません。

新型コロナウイルスが完全には収束しない一方で、ドイツではどんどん規制緩和が進んでいて、私の住んでいるバイエルン州では12月10日から、ローカルな公共交通機関利用時のマスク着用義務がなくなりました。

年が明けてから、ドイツ国内16州のうち大多数の州政府が同様の措置を打ち出し、連邦政府もドイツ鉄道などの長距離交通機関でのマスク着用義務を2月2日で撤廃することを発表しました。

そもそもマスク着用習慣のない欧米人にとっては、日常生活の中で長時間マスク着用を義務付けられることは、かなりの精神的負担になっているようです。

感染予防とメンタルケアの間で、「マスクは任意で着用することを推奨する」という妥協点に落ち着いたという感じです。

高齢者介護施設の公共スペースでも、州によってはマスク着用義務を撤廃したところがあり、その理由は「施設内の公共スペースも、そこに住む人たちにとっては自宅の一部だから」というものです。

【参考記事】

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