アウクスブルクだけの祝日がある理由

バイエルン州はドイツ16州の中で、1年で最も祝日の多い州です。
なぜ他州に比べて祝日が多いかというと、カトリック教会由来の祝日をほぼ全部、きちっと祝うから。
さらにそのバイエルン州の中でも1地域だけ、他地域よりも1日祝日が多い場所があります。それが、私の住んでいるアウクスブルクです。
今回はこのアウクスブルクの謎祝日の秘密に迫ってみました。
見市 知 2022.09.12
誰でも
8月8日はバイエルン州アウクスブルクの祝日「アウクスブルク平和祭」

8月8日はバイエルン州アウクスブルクの祝日「アウクスブルク平和祭」

州を移動して祝日が増えた

ドイツ南部のバイエルン州に居を構えて、気がつけばもう7年が経過していました。

私の場合、仕事の形態がおもに家でMacに向かっているか旅に出ているかのどちらかなので、どこに住むかにはかなりの自由度があると言えます。学生時代から数えると、これまでドイツ国内5州を移り住んできました。

そんなお気楽ノマド人生を送ってきた私ですが、ベルリンからバイエルンに移ってきて衝撃を受けたのが、いきなり祝日の数が増えたことでした。

ちなみにドイツ全体の共通の祝日は年間で9日。

これに各州独自の祝日が加わり、最も多いのがバイエルン州で年間14日(州内一部地域でしか祝われないものも含む。州全体に該当する祝日は12日)。これに対してベルリン州の祝日は最も少なくて10日しかありません(このほかハンブルク、ブレーメンなど7州でも祝日は10日)。

祝日とはそもそも、公共施設や会社や学校、お店などが休みになる日なので、私のように学校にも会社にも通っていない謎の外国人にはじゃっかん縁薄いところがあります。

そのため、普通の日だと思ってスーパーに出かけたら閉まっていて、それで初めて今日がマリア昇天祭(8月15日)だったと知る、などということが多発しました。

さらに、たとえばドイツ統一記念日(10月3日)のように、歴史的な出来事と具体的に結びついている祝日だと覚えやすいのですが、教会系の祝日はシンボリックなものが多く、何を祝う日なのかも謎だったりする場合があるのです。

あとこれはバイエルンに限ったことではないですが、教会系の祝日には移動祝日が結構あります。

クリスチャンにとってはクリスマスと並んで重要な祝日であるイースターがその典型例で「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」と決まっているので毎年日にちが異なり、これもまた、教会系の祝日=謎祝日のイメージを高めているとも言えます。

謎祝日が多いバイエルン州。アウクスブルク平和祭を入れると年間14日の祝日がある。

謎祝日が多いバイエルン州。アウクスブルク平和祭を入れると年間14日の祝日がある。

アウクスブルク平和祭とは何か?

さて、そんなバイエルン州の謎祝日の極めつけは、8月8日のアウクスブルク平和祭ではないかと思います。

この祝日はバイエルン州第3の都市アウクスブルクでしか祝われないので、対象者が少人数すぎて一般のカレンダーには載っていません。

かろうじて、ドイツ労働組合のウェブサイトに表記されているのを発見いたしました。

8月という夏季休暇シーズンのど真ん中にあることからも、多くの人がこの時期にはすでにバカンス中で、「学校や会社が休みになる」という祝日のありがたみも薄いわけです。

この日は一体、何を祝う日なのか?

そこにはアウクスブルクという町の独特な歴史と経緯が関係していました。

アウクスブルク平和祭(Augsburger Friedensfest)の由来は、30年戦争が終結した1648年にさかのぼります。

30年戦争(1618〜48年)とは、マルティン・ルターによる宗教改革(1517年)から100年後、ドイツのキリスト教旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)の対立に端を発し、これに欧州各国が介入して起こった戦争です。

最終的には1648年のウェストファリア条約によって、旧教徒と新教徒の同権が認められました。

実は宗教改革後、アウクスブルクの和議(1555年)によってすでに新教徒の信仰はドイツ国内で認められたのですが、これは「領主の宗教がその地に認められる」原則だったため、住民は居住地によって宗派が決められることになり、旧教徒と新教徒は居住地域が分かれていました。

その中でアウクスブルクだけは例外的に、旧教徒と新教徒両方の居住が認められた町だったのですが、ここでの新教徒は居住を認められていたものの信仰の自由を制限され、同等の扱いを受けていませんでした。

このため、改めて新教徒の権利を認めたウェストファリア条約は、アウクスブルク市民にとって特別な意味を持っていたのです。

市庁舎前で開催される巨大ブランチ大会

ウェストファリア条約の締結を祝うアウクスブルク平和祭の8月8日には、アウクスブルク市庁舎前に椅子とテーブルが設置され、フリーデンス・ターフェル(Friedenstafel:平和のテーブル)と呼ばれる巨大ブランチ大会が開催されます。

自家製のサラダやパスタ料理を持参して、巨大ブランチ大会に参加した皆さん

自家製のサラダやパスタ料理を持参して、巨大ブランチ大会に参加した皆さん

これはだれもが自由に参加でき、参加者は各自家から料理を持ち寄って隣り合った人たちと交流するというもの。

コロナ禍によって、このイベントも2年連続で中止となっていたのですが今年は再開されて、好天の下に多くの市民が集いました。

市庁舎前広場にはウクライナへの連帯を示す垂れ幕がかかり、コロナ禍と戦争で世の中に混沌と不穏が渦巻く中、特別な思いを持って今年の平和祭に参加した人たちも多かったのではないかと思います。

市庁舎前広場にはウクライナへの連帯を示す垂れ幕。「平和の町アウクスブルク」と表記されている

市庁舎前広場にはウクライナへの連帯を示す垂れ幕。「平和の町アウクスブルク」と表記されている

「食事をともにする」ことの象徴的な意味

ところで「異なる宗派や民族の人たちと食事をともにする」というのは、今日では普通のことのように思えますが、かつては特別な意味がありました。

はるか昔、旧約聖書には異なる民族同士が食事をともにするのを忌むべきこととする話が出てきて、エジプトを大飢饉から救ったヨセフの物語では、エジプト人たちはヘブル人であるヨセフと食事をともにしません。またイエス・キリストは、罪人とされる取税人と食事をともにしたことで、当時の宗教指導者から非難を浴びました。

つまり「食事をともにする」ことには、相手を自分の同胞・友人として認めるという意味がありました。

ちなみに今日においてキリスト教の旧教と新教の対立が完全に解消されたかというと、まだ壁が残っており、その一つが旧教の聖餐式です。

キリストの最後の晩餐の場面にちなんで、パンとぶどう酒を配るという儀式ですが、旧教の教会では基本的に、この聖餐式に新教徒の参加を認めていません。

「食事をともにする」ことの障壁をいまだに感じさせられる象徴的な話ではあります。

市庁舎前で配っていたパンとぶどう。パンの形は平和のハト

市庁舎前で配っていたパンとぶどう。パンの形は平和のハト

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