ホームレスとは誰のことなのか?

「ホームレスの命はどうでもいい」と日本でコメントした、ある人物の発言が問題になっています。
この社会に生きる一員として他人に対し、「この人の命はどうでもいい」などと言う権利のある人は一人もいません。
この「どうでもいい」と言われたホームレスはどのような人たちのことなのか、私自身がこれまで見聞してきたことを振り返って考えてみたいと思います。
見市 知 2021.08.16
誰でも

くだんの問題発言については、すでにあまりにも多く語られているのと、本来公共の場でまともに取り合うに値しないような内容であることから直接の引用はしませんが、同発言に対して生活困窮者支援団体が連名で出した声明を挙げておきます。これを読んでいただければ、ことの次第がわかると思います。

私も、この声明に全面的に賛同します。

ホームレスや生活保護受給者の命を軽んじ「いらない」とコメントした人物は、著名なテレビタレントであり、自身のYouTubeチャンネルに250万人におよぶ登録者を持つ有力インフルエンサーでした。この人の社会的影響力を考えるに、これは犯罪行為に等しいと言えると思います。

一方で、この世の中には経済的困窮とは無縁に生きていて、ホームレスと呼ばれる人たちに会ったことがない人も多いと思います。

私はライターとしてドイツで、社会的弱者のための支援現場を長く取材してきました。ビッグイシュー日本版とも長いお付き合いで、同様にホームレスの自立支援目的で運営されているドイツのストリートペーパー数誌を2014年に取材させてもらったことがありました。

今回、当時の取材メモの中から支援の現場にいる人たちの言葉を借りて、ホームレスとは誰なのかを描き出してみたいと思います。

ストリートペーパーについて

ホームレスが路上で販売することで彼らの仕事を創出して自立を支援し、ホームレス問題を世に喚起する意味を持つ雑誌や新聞のことをストリートペーパーと呼びます。販売価格の半額以上が販売者の現金収益になるという仕組みを取っています。

世界で初めてストリートペーパーのビジネスモデルが誕生したのは1991年。英国で創刊された「ビッグイシュー」でした。以来、この波は世界中に広がり、日本でも2003年に「ビッグイシュー日本版」が創刊されます。

ドイツではある程度の規模以上の都市には必ずと言っていいほど「ご当地ストリートペーパー」があり、一般紙さながらに地域色と個性もさまざまです。ドイツを代表するストリートペーパー2誌が創刊されたのは1993年。10月にミュンヘンの「BISS」、そして3週間遅れの11月にハンブルクで「Hinz&Kunzt」が産声を上げました。

この2つのストリートペーパーの名前は、「ホームレス」と呼ばれる人々がだれなのかをいみじくも語っています。

たとえばミュンヘンの「BISS」は「社会的困難の中にある市民(Bürger in Sozialen Schwierigkeiten)」の略称。ハンブルクの「Hinz&Kunzt」は「ヒンツとクンツ(どこにでもいる人)」という名前のクンツに「芸術(Kunst)」をひっかけて、「Lebenskünstler=生き抜く術を知っている人」という二重の意味を込めています。

つまりホームレスとは、社会的困難の中にある、どこにでもいる人たち、そして生き抜く術を知っている人たち。

以下は、2014年当時に取材したストリートペーパー3誌のインタビューメモからの抜粋になります。従って、データは当時のものになりますのでご注意ください。

1)「BISS(ビス)」ミュンヘン

 人々がホームレスになってしまう原因は何なのか? この問いかけに対して「BISS」発行人のヒルデガルト・デニンガーさんはこう解説してくれた。

 「貧困家庭に生まれ、教育の機会や職業訓練の機会、資格を得る機会を逃してきたというのが一番多いケースです。そこに借金や病気、離婚や人間関係の破綻などの不幸が重なり、自分の人生を抱えきれなくなる。ホームレスひとりひとりに、そこに至るまでの長く複雑な経緯があるのです」

 月刊で発行される「BISS」の誌面は30ページ。南ドイツ新聞など高級紙出身のプロのジャーナリストによる中身は、社会的テーマから時事問題、娯楽までを幅広く扱っていて読みごたえがある。中でも、販売者たちがプロの編集者の指導を受けて書く「雑記工房」はちょっとした名物だ。飾り気のない筆致で、日常生活のことや自分の子ども時代の思い出などが綴られ、彼らの人生をぐっと身近に感じることができる。

 「BISS」では、販売者の社会福祉手当受給やアパートへの入居も積極的にサポートし、その一方で仕事を求めて訪れる若いホームレスには、提携する自転車修理工場などへの職業訓練をあっせんしている。1998年以降は、販売者の正社員雇用も行なっている。

「BISS」基本情報

創刊:1993年10月

発行部数:平均3万8000部(月刊)

販売地域:ミュンヘン

従業員数:46人(うち40人が正規雇用の販売者)

販売者数:約100人

価格:2,20ユーロ(販売者の収益:1,10ユーロ)

https://biss-magazin.de

2)「BODO(ボド)」ドルトムント/ボーフム

 「サッカーとビールに興味がなかったら、この街では生きて行けない」言われるルール工業地帯の主要都市ドルトムント。かつて鉄鋼業で栄えたこの地域も、構造不況の波にさらされ深刻な貧困が広がっている。

 「ルール地方には労働者の街独特のユーモアとオープンな気質があります。現状を悲観していても始まらない、そういう精神は『BODO』の中にも流れています」

 編集長のバスチャン・ピュッターさんはそう語る。

 誌面は、セレブインタビューなどの華やかなページが目を引く、ちょっとおしゃれなシティマガジンという体裁だが、20%くらいは読む人に貧困問題への切迫感を与えるような構成にしているという。

 「問題提起は必要ですが、プロパガンダでは人の心をつかむことはできません」

 「BODO」の販売者の20%はアルコールやドラッグ依存症の問題を抱えた人たち。精神疾患を患っていたり、多額の借金を抱えている人たちも多いという。さらに最近では、ルーマニアやブルガリアなどから移民してきた外国人が20%を占めているという。

 「販売者になりたいという希望者に対しては、まず最初に必ず面談をします。そして彼らの問題の根幹がどこにあるのかを確認する。今、ただ少しお金が必要なのか、それとも本当はドラッグ中毒の治療を必要としている人なのか、見極めが必要なのです」とピュッターさんは語る。それぞれのケースに対応したサポートができる公的機関とのネットワークも機能している。

「BODO」基本情報

創刊:1995年2月

発行部数:平均2万部(月刊)

販売地域:ドルトムント、ボーフム

従業員数:6人

販売者数:約110人

価格:2,50ユーロ(販売者の収益:1,25ユーロ)

https://bodoev.org/strassenmagazin/

3)「Hinz&Kunzt(ヒンツ・ウント・クンツト)」ハンブルク

 ハンブルガー・アーベントブラット紙のジャーナリストだったビルギット・ミュラー編集長は「Hinz&Kunzt」の創刊時からのスタッフだ。

 「同誌が創刊された1993年は、東西ドイツ統一から3年経って熱狂が冷め、世の中全体が悲観的になり、人の心も冷たくなっていた時でした。そこへ『Hinz&Kunzt』の創刊は、人々のあきらめかけた良心に訴える力をもっていたのでしょう、予想外の支持を持って迎えられました。最初の10日で3万部が完売したんです」

 しかし、ホームレス問題というのは一朝一夕に解決するものではない。東西統一によって社会的地位や仕事を失った人々、若年ホームレス、そして最近ではルーマニアやブルガリアからの貧困移民と、販売者のプロフィルはいつもその時々の世相を表して変遷してきた。

 「貧しい人々と富める人々の間にどうしたら橋をかけることができるか。そのための対話を続けることが、私たちの仕事なのです」

 「Hinz&Kunzt」では、1年半前から販売者のための独自の社会福祉住宅も運営、学校などでのホームレス問題についての啓蒙活動にも力を入れている。また常勤スタッフ26人のうち10人は元販売者で、内勤業務に従事している。

「Hinz&Kunzt」基本情報

創刊:1993年11月

発行部数:平均6万8000部(月刊)

販売地域:ハンブルク

従業員数:26人(うち10人が元販売者)

販売者数:約500人

価格:1,90ユーロ(販売者の収益:1ユーロ)

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