万年筆を洗う
万年筆にはいろいろな思い出があります。
思いを込めて手書きで何かを伝えたい時に万年筆を使ってみると、心持ちが違ってくることに気づきました。

風の強かった日に、だれかが落書きをしたみたいな空になっていました。
新聞記者だった私の父は、モンブランの万年筆を愛用していました。
現役の記者時代、まだ手書きで原稿を書いていた最後の世代に属していた父は筆まめで、何か頂き物をするといつも即座にお礼状を書いていました。相手がごく身近な人で、明日会社に行けば顔を合わせるような人であっても、そういうところは徹底していました。
美術展などで買ってきた絵はがきが必ず家の中にはあり、父が万年筆を片手に手際よくさらさらっとお礼状をしたためていた姿が今でも目に浮かびます。家の玄関の靴箱の上にはしょっちゅう、書きたての絵はがきが置いてあり、家族のだれかが出かける時に「投函してきて」と頼まれたものでした。
父はいわゆる達筆というわけではなかったのですが味わい深い字を書く人で、父からもらった手紙やはがきを見ると、父本人の気配が今も立ち上がってくるような気がします。
父は3年前に咽頭がんで亡くなりました。
昨年、東京の実家で遺品整理をしていたときに、何本かあったモンブランの万年筆を形見分けで一本もらいました。
とはいえ私は不肖の娘で、筆不精な上、万年筆を使う習慣も絶えてなかったため、それは仕事机の上のペン立ての上に入れっぱなしになっていました。

濃緑のモンブランと、鮮やかな黄色のラミーの万年筆。それぞれに思い出がありますが、長いこと使わずにいました。
そして父の形見とは別にもう一本、私には長いこと使っていなかった万年筆がありました。
これは以前、ドイツのプロチームでサッカーをしていた、私よりもかなり年下の日本人の友人が誕生日プレゼントにくれたもので、当時彼は、経済的に余裕のない生活をしていたはずなのですが、私の誕生日に奮発してラミーの万年筆をプレゼントしてくれました。
「知さんは文章を書く仕事をしているから」
と彼なりに頭を悩まして選んでくれたであろうプレゼントに、私は通り一遍のお礼しか言わなかった記憶があります。
ドイツに不慣れだった彼を、私はさまざまな場面でサポートする機会がありました。彼がサッカーの練習中にアキレス腱を切る大怪我をした時は、明け方に病院から電話がかかってきて、「これから全身麻酔で手術をするので、麻酔医の先生が言うことを訳していただけますか?」と言われて、ことの重大さに体が震えた覚えがあります。
そういったさまざまな経緯があった上での感謝の気持ちが入ったプレゼントだったことを、今になって改めて理解することができます(本当にごめん)。
今年に入ってから、使わずにいたそれらの万年筆を洗いました。
きっかけは、散らかり放題になっていた机の上を片付けたのと、3行日記を書き始めたことです。
3行日記は小川たまかさんのニュースレターで知ったのですが、最近コロナ禍の引きこもり生活の影響からか、夜に寝つきが悪くて解決方法を探していたところ、自律神経を整える必要があるらしいということにたどり着き、それでこの方法を試してみることにしました。
詳しくはこちらを見ていただければと思いますが、簡単に説明すると、3行日記で毎日書くことは3つ、3行だけ。
①よくなかったこと(うまくいかなかったこと)
②よかったこと(うまくいったこと)
③明日の目標
たったこれだけです。
ポイントはこれを手書きにすることなんだそうで、それによって、心をざわつかせる不安や心配、雑念などの流れを制御し、自律神経を整える作用が生まれるのだそうです。
そして3行だけ、しかもできるだけ簡潔に書くというのがルールなので、「毎日続ける」という日記特有のハードルがぐっと低くなり、習慣化が可能になります。
この3行日記を書くに当たって、宝の持ち腐れになっていた万年筆を再び活性化させることにしたわけです。

万年筆はしばらく使わないで置いておくと、インクが詰まって字が書けなくなってしまいます。
私の万年筆は2本ともカートリッジ式なので、古いカートリッジを外してペン先をぬるま湯で洗い、さらに一晩くらい、水を入れたコップにつけておきました。
ちなみにこのお手入れ方法は、以前一緒に住んでいたドイツ人の友人に教えてもらったのですが、ドイツでは小学校でノートを書くのに万年筆を使う習慣があるため、このお手入れ方法は彼らにとっては子どもの時から知っているものなんだそうです。
万年筆メーカーが出している同様のお手入れ方法はこちらです。
このようなわけで、
身の回りを片付ける
→自分の持ち物の価値を再発見して手入れする
→3行日記で自律神経を整える
という、わらしべ長者的好スタートを切った2022年。
3行日記は今のところ順調に続いていて、確かに夜寝る前に心が静まって寝つきがよくなりました。
価値のあるものは自分の持ち物の中にある、という気づきを得ることもできた年の初めでした。

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